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発達障害者にとっての「またやったリスト」の効用

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大学に入学したあとで自分の発達障害特性に気づくことがある。

大学では、興味と関心に基づいて選択すべき科目を選択し、試験前には学習計画を立てて試験当日までに覚えるべきことは覚え、習得すべきスキルは習得して試験に臨まなければならない。期限までに提出しなくてはならないレポートや卒論はもちろん長期的に計画し、研究すべき物事に優先順位をつけて着実に実行しなくてはならない。

しかし、高校までは勉強ができたので気づかなかったものの、大学に入ってから自分が発達障害者としての特性を持つと気づく人がいる。私もその一人だった。

発達障害者支援法が制定されたのは2005年。今では発達障害の大学生を支援する各種取組が大学で行われているが、私が大学生だったのははるか以前だ。

発達障害の特性はあるが、高等学校段階までは特に特性による困りごとがなく、診断が必要になることがなかったけれども、大学に進学した後、支援の必要性が出てきたケースが多いということである。高等教育機 関に進学する学生のほとんどは、知的な遅れを伴わない、むしろ、秀でた能力を持ち合わせた高機能のタイプであり、高等学校までは成績の良い模範的な生徒として高い評価を受けてきた人が多い。友人関係や部活など、学業以外のことにそれほど関心を持たなくても、修学に支障を来すことが少ない場合、 成績に見合った進路を目指すことは当然のことである。(富山大学保健管理センター 西村優紀美)

一部のスキルに関しては突出した能力を発揮するものの、提出物の期限を守ることができない、朝決まった時間に起きて遅刻しないように授業に出席することができない。アルバイトと友人関係と学業の優先順位をうまくつけられないなどに苦しんだ。

発達障害についての知識を持っている今なら理解できる困難を、自分の怠け癖が原因だったり、自分自身の気持ちの問題と考え続けて、自己評価を低下させ続け、サポートシステムに救われることもなく、私は何年もかけて静かに大学から退却していった

一部の突出した能力があり、恵まれた時代だったということもあり仕事には就くことができたが、それでも仕事の上で発達障害特性に苦しめられることは多かった。

まだ知的障害のない発達障害が社会に認知されつつあったような時代で、いまとは違って発達障害者の生活改善についての書籍が書店に並んだりはしていなかった。大学生のころに自分の特性を知る機会や方法があればどれほどよかったことか。 

diamond.jp

ライフハック系のビジネス手法発達障害特性は相性がいいと感じるが、当時はあまり出版されていなかった。

kizuki.or.jp

知的生産性、メモ術、手帳術などの本を読み漁っては日々の仕事に活かしている気になっていたが、効果は大したものではなかった。しかし中でもいくつか本当に役に立つと感じられる手法があった。

誰のどんな本に書かれていたのか失念しのが悔やまれるが、最も効果的だったのは「またやったリスト」だ

システム手帳の自作リフィル(手帳と同じ大きさで差し込み式のシート)のアイデアだったのかもしれない。84年にファイロファクスというシステム手帳のシステムが日本で発売され大流行し、ビジネス雑誌の付録にもリフィルが登場したり、システム手帳だけをテーマにした雑誌まで発行されていた。そういう雑誌の記事の一つに「またやったりすと」が特集されていたのかもしれない。

若い頃はとにかく失敗するものだが、すべての失敗を記録することは難しい。同じ失敗を繰り返さないように失敗についてのメモを取るようにすすめる著者は多いが、全ての失敗とは膨大な数になるだろうし、一度しかしない失敗を記録するしても無駄というものだ。

重要なのは繰り返される失敗を減らすこと。そして繰り返される失敗のの指標になるのは、「またやった」という気持ちだというのだ。

「またやったリスト」は簡単だ。なにか失敗をして、「またやった」という気持ちになったときにだけ、日付、またやったことを1行だけメモする。

「またやった」という気持ちになったら、手帳のそのページを開いて「またやった」ことをメモする。これだけでよい。

メモするたびに、前の行も見えるので、同じ失敗を何度も繰り返している場合には、行数という目に見えるかたちで自分が失敗を繰り返していることが視覚化される。

この「またやったリスト」はシステム手帳を持ち歩いている数年間のあいだずっと継続した。いくつかの悪い習慣から抜け出した記憶がある。

「まったやったリスト」に書き込むとき、以前の「またやったこと」を見直すのだ。紛れもなく自分がやったことだし、人に指摘されるのではなく自分が未来の自分のためにメモした失敗の記録である。

頭のなかで反省しただけのことはすぐ忘れてしまう。若いころもそうだし、年をとってからもそうだ。

しかし「またやったリスト」を継続するだけで、少しづつではあるが失敗が少なくなってゆくのだ。本当によくできた仕組みだと何度感心したことか。そのときの気持ちは鮮明に覚えている。

自己啓発系書物がたくさん出版されているし、習慣化や脱習慣化がテーマのものも多いと思う。そのなかに「まったやったリスト」のことが触れられているなら読んでみたい。あるいは似たような機能を持つアプリがあればそれも試してみたい。

私自身はシステム手帳を持ち歩かなくなってから、「またやったリスト」を使わなくなって長い時間が経つ。

思い立って発達障害者として日々の生活を改善する試みを記録し、ネットの海に放流することにした。

このブログにどんな内容を書くのか考えていたときに、真っ先に思い浮かんだのが、この「またやったリスト」だった。

自分の発達障害特性を知らない時代に使っていた手法だ。うまくゆくかもしれないし、うまくゆかないかもしれない。このブログでは、当時つけていた「またやったリスト」のような簡単なメモではなく、発達障害についての自分の記憶、思考の整理も行いながら長めの文章で「またやったこと」を記録している。この形式を続けるかもしれないし、続けないかもしれない。

「またやったことリスト」を生活改善の糧とできたらよい。