またやった:山登りの待ち合わせ場所に行くと弟がスマホをどこかに置き忘れてきていた
これは弟の話。
今日は弟と約束して近郊の低山に山登りする予定だった。待ち合わせの駅に到着したら、弟からうっすら酒のにおいがした(弟は休日は朝から一日中薄暗く静かな部屋で弱い酒を飲んで眠たくなったら眠るという生活をしている)。
発達障害と山登りの相性はいいと感じるので休日は山に登ることにしている。弟と休みが会えば弟を誘う。
陽の光を浴びて静かな山の中を数時間歩くと聴覚過敏や視覚過敏で疲れた日常が溶けてゆく感覚がある。休日に少し負荷の強い低山に登ったり、自然の中をハイキングしたりすることが体調にもメンタルにもよい。自分のためにもよい効果があるし、弟のためにもなる。
弟は自分にもまして非定形発達者だ。ずいぶん前だが結婚生活が破綻し、何度か転職を繰り返し、いまは以前と比べると給料の安い仕事についている。日々微弱な快感を得るために昔と比べると相当弱い酒を以前よりは少量飲んで日々をやり過ごしている。
弟は以前は本格的な登山家だった。体力づくりのために毎週のように関西の低山を歩いていた時期があった。シーズンに何度か北アルプスの標高の高い山に登ったり、週末夜行バスで移動し富士山にも何度か登ったことがある。
結婚生活が破綻したあとは登山にのめり込み気晴らしをし、当時勤めていた会社も待遇がよく給料も高かったし休みもきちんと取れた。住んでいたのも山道具の店が何軒もある街中まで徒歩で行ける天井の高いマンションに住んでいた。
今から考えると、離婚はしたものの仕事は順調で弟の調子は良かったのだ。
社内不倫が原因で退職したあと、弟の調子はどんどん悪くなってゆく。
まず酒量が増えた。帰宅してからビールを飲み始め、夜が更けるにしたがって焼酎に変わる。眠りも浅かったようで、真夜中に目が覚めるとビールか焼酎、明け方に目が覚めるとまたビールか焼酎。
こんな生活をしていてまともに会社に行けているはずがない。これが分かるまで2年かかってしまった。気がつくと弟は、会社に行かず朝から酒を飲み、生活費はクレジットカードでキャッシング、のちに消費者金融で借金を繰り返し。会社に行ける時期が少しあってもすぐまただめになった。
そして、ある日母親のもとに上司から電話があった。このままでは退職してもらわなければならない。会社に消費者金融から何度か電話があった。一度お母様と対応の相談がしたいと。
母親は正社員の身分を捨ててほしくなかったようで、上司に頭を下げ生活の改善、出社を約束した。それでも弟は会社に行けなかったのだ。
この後、弟がまともに仕事に通えるようになるまで2年かかることになる。家賃の高い街中のマンションを引き払い郊外の安くて小さなアパートに引っ越しさせた、借金の返済と家賃、日々の生活費は母親とわたしが二人で負担した。
そのあいだも弟はほとんど何も食わずに飲み続けた。
そして、弟は山登りの体力のほとんどを失った。
かつてあんなに楽しみにしていた山に登るための交通費を捻出できなくなったのだ。朝から晩まで弱い酒を少しづつ飲んで、失った結婚生活と行きたいのに行けなくなった山のことだけを考え酒を飲み、静かにゆっくりと体力を失っていった。
弟が山に登る体力を失ったことに気づくのにも時間がかかった。私が山登りを始めたこの数ヶ月だ。この数年、不足している生活費を補填するために毎月弟と会って金を手渡ししているのだが、このときは一緒にどこか散歩して、静かなバーで飲むだけだったので気づかなかったのだ。
数ヶ月前はじめて一緒に低山に登ろうとしたとき、弟は1キロも歩けなかった。前日飲みすぎたからか、朝から飲んだからか体調が悪かっただけなのだろうと思ったのだが違った。
飲んで山の話をしていると、以前は簡単に登った山なので、自信たっぷりに弟はあの山は初心者コースだからお兄ちゃんでも大丈夫と思う。余裕で登って降りてくることができる。下山したら一緒にどこかで酒を飲もうと言ったのだ。
しかし、3時間もあれば下山できると弟が請け負った山から降りてくるのに6時間かかった。
山登りを趣味にしている高齢者にも、腰のあたりまでしか背のない子どもたちにもどんどん抜かされた。弟の顔は険しく、荒い呼吸を整えながら、重そうな脚を一歩づつ前に出していた。
弟はもう以前のような登山家ではないのだ。
その日、弟も自分でも気づいたようだった。次からは大きな口を叩かなくなった。簡単にではないが、言いにくそうにその山は自信がないというようになった。たとえ低山でも。
今日は中級者用の山に登る約束をしていた。しかし待ち合わせ場所に行ったとき、弟は酒のにおいをさせていた。
そして、弟は今日は山じゃなくって近くのハイキングコースを歩く?と聞く。
朝から飲んだから自信がなくなったんだろうと思い、いいよ、じゃあハイキングコースのほうを歩こう、それでも8キロは歩けると言った。
ハイキングコースの入り口までバスに乗り、歩き始めるとやはり山とは違って軽快に歩み出せる。
杉の枯れ枝が敷き詰められた道は柔らかく、杉木立の合間から柔らかい冬の朝の光が差し込み、風の少ない山道には弟と二人が歩く足音と、ときおり聞こえてくる野鳥の泣き声しかない。
そして、始めての休憩の場所で弟が言ったのだ。
お兄ちゃん、携帯電話がない。
朝待ち合わせした駅で立ち食いそばを食ってそのときにはあった。バスの中でも携帯電話は見てないから立ち食いそばの店と思う。
私の携帯電話でそのそば屋に電話したが見当たらないという。
バス会社にも電話した。
まだお届けありません。
午後にも二度づつ問い合わせたが結局弟のスマホは出てこなかった。
ハイキングコースは二人で歩いた。しかしスマホは出てこなかった。下山した駅で夕方二人で少し飲み食いした。気を遣わせないようにしているのか、自分でも気を紛らわせようとしているのか、スマホの話はでなかった。
ハイキング中に弟は、スマホを置き忘れるのは初めてじゃない。一度は通勤電車の中、ズボンのポケットに入れておいたのがいつの間にか滑り落ちた。それは駅に届けられていた。二度目は、自宅近くのスーパーで買い物をしていて買い物を袋に詰める台の上に置きっぱなしで帰ってしまった。これも電話したらあったと言った。
出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。
弟がスマートフォンを置き忘れた理由を考えてみる。
- 朝から酒を飲んで注意レベルが下がっていた
- いつもと違う山登り用のズボンを履いておりポケットが浅かった
- 乗ったバスが暖かく酒も飲んでいたのでうたた寝をした
- 降車予定のバス停で慌てて下車したので座席を確認しなかった
弟がスマホを忘れた理由に対して思うことと対策を考えてみる。
朝から酒を飲んで注意レベルが下がっていた
これは弟の場合常にある。微弱な快感を弱いアルコールで脳に入れ続けることで、過敏な感覚を鈍麻させ日常生活をどうにか乗り切っている。
いつもと違う山登り用のズボンを履いておりポケットが浅かった
着ている服が変わるとどこにポケットに物を入れるのかが変わったり、ポケットの浅さが変わったりするので、臨機応変に対応する能力は弟にない。もちろん私にも。私は常にサコッシュを首から下げて、外出時に出し入れする手荷物はすべてサコッシュに入れることで落とし物、忘れ物は回避している。私はこの方法でものを置き忘れることはなくなった(泥酔時以外)。弟がサコッシュを使うかどうかは分からないが、気に入ったものでなければ常時携帯することはないので、今度買い物に行ったときに気に入るものを選んでもらうことにする。
乗ったバスが暖かく酒も飲んでいたのでうたた寝をした
酒で少し酩酊した状態で寒いバス停から温かいバス車内に入って10分以上座席に座っているとうたた寝してしまうのは理解できる。発達障害者は疲れやすいので、気持ちよくバスでうたた寝できるのならこの機会は積極的に活用するといい。サコッシュを常時携帯するようになれば、うたた寝はしてもいいだろう。今日は私が弟と一緒にいたので寝過ごすことはなかったが、寝過ごしてしまうようなことが何度もあればそれは別に検討すればよい。
降車予定のバス停で慌てて下車したので座席を確認しなかった
電車でもバスでも慌てて下車するときに、忘れものがないかどうか確認しないというのは問題。自分も、電車の中で耳栓をしてなにか過集中になることで車内の聴覚刺激や視覚刺激から逃れようとする癖がある。また外界を遮断するために耳栓をして目を瞑っていることが多いので、乗り越してしまったり、慌てて下車したりすることがある。これ自体は回避するのが困難なので、やはり座席を確認せずに慌てて下車しても忘れ物が発生しないような仕組み作りが効果的だと思う。
まとめ
- 弟が休日の朝から酒を飲むのは当面否定しない
- どんな服を着ていても忘れ物が起こりにくいサコッシュを今度一緒に選ぶ
- 電車やバスでうたた寝することは寝過ごさない限り否定しない
- 電車やバスで慌てて降りても大丈夫なようにサコッシュをもたせる
来月も弟と山に登る。